BE MY LADY
「お母さんおはよう。良い匂いね」
朝の支度を終えたまもりがキッチンに入ると焼きたてのパンの良い香りがした。
「今日はオニオンブレッドとクロワッサンを焼いてみたの。なかなかの自信作よ」
「うわぁ、美味しそう!一個ずつ食べてみようっと」
笑顔で母が焼きたてのパンを入れたバスケットをまもりに差し出したので、まもりはウキウキとしながらバスケットの中から二種類のパンを一個ずつ自分の皿へと取りテーブルへと向かう。
テーブルでは既に朝食を終えた父親が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「お父さん、おはよう」
「あぁ、おはよう」
挨拶を終えると早速、まもりはパンを食べ始めた。
ベーコンの入ったオニオンブレッドはさすが母が自信作と言うだけあって美味しい。
「まもり、出かけるから今度の日曜日はあけておきなさい」母
手作りの美味しい朝食を先に食べ終え、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた父親がいきなりまもりに話しをふって来た。
「え?」
「部活は休みなさい。絶対に休みなさい」
「部活は今度の日曜日は休みだし、あったとしてももう一応引退した身だから大丈夫だけど…どうしたの?」
「休みならそれで良い。とにかく、日曜日は出かけるからそのつもりでいるように」
それだけ言うとまもりの父親は仕事に行く準備をして、さっさと出かけてしまった。
有無を言わせぬ父の態度に困惑したまもりは母に視線を送ったが、母は肩をすくめるだけで何も言う事はなかった―――――。
日曜日――――
いつもよりフォーマルな格好をするように言われたまもりは、訳のわからぬまま言われた通りにお洒落した。
化粧はパールピンクの口紅のみだが、オフホワイトのワンピースは全体によく見ると気付く花柄の刺繍が施してありとても上品で、まもりの色の白さと清楚さを引き立てていた。
そんな愛娘の姿に父親は上機嫌だ。
「いや~、良い天気で良かった。まさに『本日はお日柄も良く』って感じの日じゃないか、なぁ。ハッハッハ」
「お父さん、こんな格好させて何処に行く気なの?」
「うん?先月オープンした外資系の、今、マスコミとかで話題のホテルがあるだろ?」
「えぇ、あの有名デザイナーが内装を担当したって連日テレビや雑誌で紹介されているホテルでしょ?」
そのホテルならまもりも知っていた。
ホテルの部屋やサービスの素晴らしさだけでなく、有名な料理人やパティシエが勢揃いしていることでも、今、マスコミを騒がせているホテルだ。
ホテルの料理を食べる為だけにホテルに宿泊する人が多く、予約は半年待ちと聞いた。
「そのホテルのフレンチのコースランチが素晴らしいと聞いて家族で行ってみようと思ったんだよ。そしたら運良く予約が取れてね。おっ、タクシーが来た。さぁ、乗った乗った」
おかしいくらいハイテンションな父親になかば押し込められるようにタクシーに乗ると、まもり達は一路、話題のホテルへと向かった――――――。
ホテルに到着すると一人の女性がロビーで待っていた。
「すまない。待たせてしまったね」
「いえ、私達は前日からこのホテルに泊まっていましたから、気にしないで下さい」
「 では、もう?」
「はい。席の方で待っています」「それは申し訳ないな、急がないと」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
「そうかな。あ、そうだ、紹介がまだだったね。家内と娘だ」
「初めまして。同じ航空会社でCAをしております本庄と申します。いつも姉崎さんにはお世話になっております」
本庄と名乗った女性は年の頃は二十代前半位の控えめな雰囲気の美しい女性だった。
「初めまして。妻の です」
「娘のまもりです」
「両親と弟が待っていますから、挨拶は席の方で…」
「そうだね。さあ、行こう」
本庄と名乗った女性と並んで上機嫌で歩く父親を訝しく思い、まもりは隣を歩く母親に問いかけた。
「ねぇ、お母さん、一体、何が有るの?」
「うーん…行けばわかるわ」
少し困ったような顔をして言葉を濁した母親の態度にまもりは嫌な予感が強くなる。
「まもり。今日はお父さんの顔を立てて、蛭魔君の事は言わないでね」
「えっ?どう言う事?」
小声で耳打ちした母に思わずまもりは聞き返したが、まもりの問いに答える事なく母親は手招きする父親の元へ足早に行ってしまった。
どういう事なのか訳がわからずまもりは眉間の皺を深くしながらも両親の待つ席へと向かった――――――。
「やあ」
席へと到着したまもりは、先に席に着いていた人達の顔ぶれに驚きを隠せなかった。
「本庄さん!鷹君も!お久しぶりです」
席で待っていたのは本庄 と、鷹とその母親らしき女性だった。
さっき、ロビーで待っていた女性も本庄と名乗った。
その時、ようやくさっきの女性は鷹のお姉さんなのだと気付いた。
同席するのは本庄一家とは分かったが、何故このような席が設けられたのかが分からない。
簡単な自己紹介がすんだ頃、料理が運ばれて来た。
美味しい料理を食べながら和やかな雰囲気で会話は進むがみんなの真意が掴めず、まもりは一人、居心地の悪い思いをしていた。
「でも意外だったなぁ。まもりさんはてっきり蛭魔君と付き合っているんだと思っていたよ」
「は?」
突然、本庄からかけられた言葉をぼんやりしていた為に聞いていなかったまもりは聞き返してしまった。
「いやね、まもりさんはてっきり蛭魔君と付き合っているんだと思っていたって話しだよ。ほら、クリスマスボウルの時と言い、ワールドカップの時と言い、本当に息がピッタリでまさに阿吽の呼吸って感じだったから、二人は付き合っているもんだと思っていたよ。」
「えっ…」
まもりは勘違いを訂正しようと思ったが、席に着く前に母親に耳打ちされた言葉を思い出した。
こう言う話題への牽制だったのかしら?
ひとまずまもりは訂正するのを止め、笑顔で会話を流した。
「まもりさんが彼女になってくれるなら鷹も安心だし、私達も安心だ。うちの鷹と来たらアメフトと読書以外にはとんと無頓着でね」
「うちのまもりも中学時代はテニスでそこそこの成績を残したんだから高校でもやれば良かったのに、上には進まず何を思ったか部活に入らず委員会に入ったりして。ようやく部活に入ったと思ったら今度はマネージャーで。本当に何がしたいんだと思ってましたが、そのおかげで鷹君と知りあっていたんだからあながち無駄ではなかったと言うか、運命を感じますなァ。なあ?まもり。ハッハッハ」
「………」
上機嫌の父親にまもりは返す言葉もない。
まもりは父親の思惑をしっかり理解した。
可愛い一人娘がどこの馬の骨どころではない悪魔と呼ばれる男と付き合っているのが許せず、別れさせる為に自分の眼鏡に叶った男と見合いさせることにしたに違いない。
良い物件を出されたからってさっさとそちらに乗り換えるような娘で良いのかしら?それはそれで問題だと思うんだけど…。
和やかな会食の雰囲気を壊すわけにもいかず露骨には態度にはださなかったが、こんな気分ではせっかくのコース料理の味も半減で…皆に気付かれぬようまもりは小さくため息をついた。
「お料理がお口に合いませんか?糞お嬢様」
「!?」
驚いて顔を上げたまもりの目に飛び込んで来たのはボーイの格好をした蛭魔だった。
「き、貴様!こんな所で何しているんだ?!」
「見てわかりませんかネェ?真面目にバイトしてるんデスヨ?ま、今日で辞めるけどな」
一同、あっけにとられて二の句が出ない。
「いや~、こんな所で会うなんて運命ですネェ~」
ニタ~と人をおちょくる笑顔を浮かべる蛭魔に父親の怒りのボルテージはぐんぐん上がっていく。
「運命なんて軽々しく口にするな!」
最初に口にしたのは自分なのにその事は棚に上げて盾夫は声をあらげた。
「異常なまでに糖分を過剰摂取する娘がいき遅れねえか不安でたまらない親心はわかる、が、安心しやがれ。娘はきっちり責任持って俺がもらってやるから」
「なっ…」
最高に悪魔的な笑顔で高らかに宣言した蛭魔に見惚れて誰も動けない。
「っつーワケでこいつはもらって行かせて頂きマス」
そう言うや、蛭魔はまもりを鮮やかにさらって行った。
「蛭魔君、なんでここがわかったの?」誰も追って来ない事を確信した二人は走るのをやめた。二人は今、ホテルにほど近い公園内にいた。「現代は情報社会デスヨ」
「あ、もしかして鷹君?」
「糖分偏執狂な女は願い下げだとよ」
「鷹君はそんなこと言いません!でも、鷹君からのメールで飛んで来てくれたのね」
「別に飛んでなんかねえ。てめえ、何ニヤついてんだ?!気持ち悪いからそのニヤケ面やめやがれ」
「だって蛭魔君が…んふふふふ」
「気色悪い顔やめろ。糖分多量摂取でとうとう脳がヤられたか?んっな女は俺も願い下げだ。てめえはホテルに戻りヤガレ」
「今更帰れません。あのホテルのデザートとっても美味しいらしいのよね」
「とっとと帰って気の済むまで食ってこい」
「帰れません。帰りません。蛭魔君が責任持ってくれるんでしょ?」
「あー、ありゃあヤメだヤメ」
「計画が狂ったこと無い人が何言ってるの。計画の取り止めは無しです。って事で、この近くに最近オープンしたカフェがあるのでそこに行きましょう」「あぁ?どうなったらそうなるんだ?」
「だって雑誌で紹介されてるの見て行って見たかったんだもの。コーヒーもこだわってるらしいからきっと蛭魔君も気に入るって、ね?」
「不味かったら速攻帰るからな」
「大丈夫!お茶しながら話し合いましょう」
「議題はいかにして糖分中毒を克服するかか?」
「違います。議題は蛭魔君と私の未来についてです」
「んっなこと話すよりは行動だろう?」
「えっ?」
「あの店に入るのと、てめえの希望の店に入るの、てめえはどっちを選択する?」
「あの店って…」
蛭魔が顎をしゃくって示した先にあったのは、超有名なジュエリー店。
内側から鍵がかけられており、入るには中から鍵を開けてもらわなければならないと言う高級店だ。そんな店で買って貰えるジュエリーと言ったら……。
まもりの胸は一気に高まるが、同時に一抹の不安もよぎる。
「蛭魔君……あの店で脅迫手帳使うつもりじゃないよね?」
「あん?」
「脅迫手帳で9割引なんて無茶を…」
いや、9割引でも普通、高校生には高いし…。
「おのぞみとあらばイタシマショウカ?」
「結構です」
「んっなセコイ真似するか。なんなら一番高いやつ買ってやろうか?」
「結構です…。一番安いので良い」
「却下!」
「え…」
「せめて一番似合うのって言いやがれ」
「一番似合うの……それって、結局、一番安いのだとか言うおち?」
「そりゃあてめえ次第だな」
「…じゃあ、一番似合うのでよろしくお願いいたします」
そう言ってまもりはぺこりと頭を下げた。
蛭魔は満足気な笑みを浮かべると、まもりの手を引きジュエリー店へと入って行った。
終わり

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